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笹幸恵
2022.10.16 10:49日々の出来事

WGIP・洗脳とは何か

昨日の小林先生のブログ
「WGIP・洗脳でなければ何のせいなの?」
について、あらためて補足&まとめをしてみます。

動画でご紹介したのは、
『GHQは日本人の戦争観を変えたか
「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』(賀茂道子著)
です。
おっしゃる通り、あまりしゃべってもネタバレになるかと思い、
WGIPとは何か、どんなプログラムだったのか、
それに対してどんな反応があったのかということを
紹介するに留めました。

以下、賀茂氏の著書より補足です。

1「洗脳」について
・日本人が洗脳されたかどうかを実証するのは難しい。
洗脳とは、暴力や監禁、感覚遮断、賞罰などの手段がともなう
強制的な思想改造を指す。占領期、言論空間が閉ざされていたのは
事実だが、上記のような強制的な手段はとられていない。
・GHQによって洗脳された、という場合の「洗脳」は、
このような心理学的定義に基づいた厳密なものではなく、
「戦前とは異なる考えを持つに至った」という意味か。
・結局、「洗脳」の定義づけも含めて個々の判断に任せるほかないが、
その判断を下すために必要な「ウォー・ギルド・プログラム」の実像が
明らかになっていない(←これが本書の出発点)。

2 WGIPとは何か
・日本人再方向付けのためにおこなわれた情報発信
・ただし体系的な施策ではなかった。
・初期の2段階を経て、1948年に「日本人再方向付け政策
=インフォメーションプログラム」に「ウォー・ギルド」追加。
ただし失速。
・WGIPをすべての日本人が受け入れたとは言いがたい。
このことは、WGIPについて取り上げた江藤淳も、
占領初期段階の1945〜1948年は、
「必ずしもCI&E(GHQ民間情報教育局)の
期待通りの成果を上げるにはいたっていなかった」
と述べている。

3 自虐史観は、WGIPによる洗脳によるものか?
・WGIP発信時に成果があまりなかったことを
わかっている江藤は、二段論法を用いた。
プログラムの「太平洋戦争史」の記述が
戦後歴史記述のパラダイムを規定、
その記述をテクストとして教育された世代が
社会の中堅を占めたことで、このプログラムの効果が発揮された、
という具合。
・ただし、歴史教科書に「侵略」や「虐殺」などの記述が
増えるのは1980年代以降(それまでほとんどない)なので、
「テクストとして教育された世代」云々は疑問。
・1980年代の教科書論争や鈴木善幸首相の土下座外交に
衝撃を受けた江藤は、米国で入手したWGIP資料をもとに
「GHQによる洗脳」と結論した(ただし浸透していないことも
理解していたので、二段論法=”間接的な洗脳”にしたのではないか)。

で、結局のところどうなの?という声が聞こえてきそうなので、
著者の結論を。


人々は残虐行為の事実や東京裁判判決は受け入れたが、
必ずしもCIEの思惑通りに「ウォー・ギルド」を
受け入れたわけではない。それでも、占領期にCIEが
日本軍の残虐行為をはじめとする戦争の隠されていた事実を
明らかにし、それに日本のメディアが追随したことは、
人々にある程度の影響を与えたことだろう。
しかし「ウォー・ギルド・プログラム」の最も大きな功績は、
人々がもともと持っていた「軍国主義が悪い」という実感に
お墨付きを与えたことではないか。それにより人々は
戦争を主体的に捉えることを避けてきた。日本人にとって、
戦争の記憶は軍部にだまされひどい目にあったという
受難の記憶として残り、強い厭戦感情を生み出した
戦後の出発点に置かれたこの厭戦感情は、その後の
戦争を絶対悪とする「絶対平和主義」につながっていった。
(傍線:笹)

以下は、笹の感想。
戦争に関して語るとき、何でもかんでもお上のせい、
軍部のせいにして、他人事のように高みの見物を
決め込む戦後日本人に私はずっと疑問を持ってきました。
もし自分がその場にいたら、と想像することもなく、
歴史を断罪することの何と傲慢なことか。
「洗脳」という言葉は、そんな傲慢な自分を見なくて済む、
便利な言葉です。
「戦時中の日本人は、軍部に洗脳されてたから」でハイ終わり。
そうして洗脳された人々とそうでない自分とをわけてしまえば、
歴史と向き合うという面倒な思考をしなくて良い。
これは、あまりに先人に失礼だろうと思います。
同様に、GHQに洗脳された、WGIPに洗脳された、という
捉え方も、人間の重層的な営みや、直視すべき本質的な部分を
見逃してしまうのではないか、
という危機意識のようなものが私にはあります。
とはいえ、本書の結論でも、厭戦感情が絶対平和主義につながっていった
思考回路までは明らかにされていません。
そこに、自虐史観がどのように作用したのかも。
こちらはまだまだ私の中でも検証中です。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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